環境保護部はまもなく「部長令(大臣令に相当)」を発令し、環境保護部門が、汚染物質を違法排出する企業に対して地方政府を通さずに操業停止を命令できるシステムを始動する。
国務院はこれまで、企業を操業停止にする権力を現地政府に与えていた。環境保護部門が企業に操業停止を求める場合、報告書を作って申請する必要があった。だが一部の地方政府は、経済利益を中心に考え、環境汚染には寛容な態度を取ることが往々にしてあった。そのため、環境汚染がひどい企業も、地方政府の保護によって処分を免れてしまい、環境の汚染は継続したまま処罰も受けないという事態が生まれていた。一部の地方政府が汚染企業をかばうという大事をやってのけたのは、「経済が発展しない」ということを彼らがより恐れるからだ。
環境保護部門が違法汚染企業を直接取り締まることは、人々が待ち望んだことだった。だが「部長令」が発令されることで、経済発展を求める地方政府の偏った欲望の干渉から、環境保護部門は逃れることができるのだろうか。環境保護部門は「部長令」という宝刀を手にしたものの、違法排出企業にそれを直接向けるには、まだ多くの障害がある。一部の地方政府は現在、環境保護部門にGDP業績への貢献を求めている。企業誘致のノルマを環境保護部門に大量に割り当てる地方政府もある。
「汚染型経済利益」を追求する地方政府が現在のままであれば、地方政府に属する現地の環境保護部門ができることは限られてくる。汚染企業の閉鎖に地方政府が乗り気でなければ、環境保護部門になすすべはない。環境保護事業は社会の共同事業だ。社会の共同事業だということは、あらゆる場面で環境保護の意識と防御線が必要だということだ。つまり政府であれ民間であれ、法律体系であれ道徳体系であれ、環境を破壊する違法行為に対していずれも、十分な警戒と抑制が必要だということだ。ひとつの部門に環境保護のための権利を与えるだけでは足りない。上下左右の合力を形成することが必要だ。
環境保護部門が権力を拡大し、操業停止を直接に命令する力を得たことは、環境保護が簡単で便利な課題となったことを意味しない。この権力が実際に効力を持つようにするためには、これとセットとなる設備が必要だ。例えば、環境保護法廷だ。中国のいくつかの都市では試行されたが、大規模なものとはならず、国全体に通用する正式なシステムとはなっていない。環境保護法廷がなければ、環境汚染の犯罪を厳格に取り締まることはできない。環境汚染の被害者は生まれ持った尊厳を維持することはできないし、汚染を受けた生態環境も回復に向けた光を見ることはできないだろう。
もうひとつ必要なのは、環境情報の公開だ。環境情報公開に関する法規はすでに施行から1年余りがたった。だが、意味のある環境情報を企業や地方政府がただちに公開することを確保するためには、情報公開のシステムをさらに改善する必要がある。さらにこの操業停止令を効果的に運用するには、活発な民間の環境保護団体の力を借りることも必要だろう。中国の環境保護事業を進めるには一般の人々に頼らなくてはならず、社会のエネルギーが民間の環境保護団体に大量に注ぎ込まれることが必要となる。
環境保護部門による操業停止令とセットとなるべき措置のうち、最も重要と考えられるのは、環境保護に関する裁判制度を明確化することだ。環境汚染の被害者(人や自然)がその加害者を法廷に連れ出し、法律による厳格な処罰を求めることのできる仕組みが必要だ。神聖な法律と一般の人々の手助けがあってこそ、環境保護部門が手にした宝刀はその効果を発揮し、全国の企業に明確なシグナルを与えることが可能となる。(新京報社説2008/11/06)
原文:
单纯一个“环保关停令”还不够
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